感じる?

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2018/6/10舞踏を見に行った。函館での開催です。何ヵ月か前に舞踏を主宰してる方が函館大三坂オフィスに来てくれて、お互い自己紹介。その時に、チラシを置いてくださいと言われて、山海塾の白塗の男性が何かを表現している写真。それを見て、なぜかわからないけど行きますと言った。二ヶ月くらい先だったけど、今チケット買わなければ行かないことになると想いその場でお金を支払った。実は全く興味がない世界、その人を喜ばせようと思って行くと言ったのではないことは確か。でも、雑誌かなにかでちょっと見たことある感じの人たちが函館にきて公演をやるということになんとなく特別ななにかを感じる。だから、楽しみでもなんでもなく、何でいこうと思ったんだろうと考えてもわからずに日にちが過ぎていって、とある日。知人の女性が舞踏のパンフレットを見て、『父から、一緒に行くぞと言われてるんです。わたし踊らなくていんですよね』???踊る?何で?

舞踏会と勘違いしてたことがあとからわかった。踊らなくてすむことに安心した彼女は、突然楽しみになったらしく、そこからいろいろな話をした。満足度のはなし。ボイストレーニングフラクタル心理学、有ることにフォーカス。等々。とっても有意義な会話だった。それはさておき、舞踏の当日。函館の廃屋の倉庫での公演。賑わいもなくさびれた場所に踏み入ると、入り口付近に、外人の方がちらほら、奥に進むと音楽が流れ、裸の男性が横たわる。けど、なんだか、違和感なし。僕の今のテーマの『感じる』ことを中心に、理性は置いておき、ひたすらなにかを感じられるように心を開けーと。頭で考えないように。3つの演目で感じたことは、言葉にすると、人の一生。苦悩からの明るい未来。輪廻転生。スキンヘッドの白塗りが、両の手の指をヒラヒラと地から天へ向かわせたときに、ウィンドチャイムが鳴るのが聞こえた。最後にはゆっくりと胎児のように足を抱え込む。僕なりの感覚。自然と拍手していた心から。不思議な感覚でした。何が面白いのか伝えられないけど、踊り手の伝えたいことが何かもわからないけど自分なりに解釈や受け止めることが、でき、それが正しいんだと思えたのだろうか。自分が感じたことは、他人とは違うだろうけど、自分の感じたことが正しいんだって勝手に思えたことが嬉しかったのか。人の評価でものを見ることが多い自分だけど、自分だけの感覚を信じて、正しいかどうかなどという正解がなく、自分が感じたことが正解。それを体現した感じだから、楽しいに繋がったのか、その後は爽快感が自分の中にありました。感じること、大事だな。